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最高裁判所第一小法廷 昭和57年(オ)548号 判決

上告人

西田澄子

上告人

上田ミツエ

右両名訴訟代理人

金井清吉

被上告人

井澤道治

右訴訟代理人

石丸拓之

主文

原判決を破棄する。

本件を福岡高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人金井清吉の上告理由第一点一について

原判決は、(1) 被上告人は、井澤寿一の長男として生れ、昭和二〇年に結婚したのちは被上告人夫婦が主体となつて寿一と共に農業に従事してきたが、昭和三三年元旦に本件各不動産の所有者である寿一からいわゆる「お綱の譲り渡し」を受け、本件各不動産の占有を取得した、(2) 右「お綱の譲り渡し」は、熊本県郡部で今でも慣習として残つているところがあり、所有権を移転する面と家計の収支に関する権限を譲渡する面とがあつて、その両面にわたつて多義的に用いられている、(3) 被上告人は、右「お綱の譲り渡し」以後農業の経営とともに家計の収支一切を取りしきり、農業協同組合に対する借入金等の名義を寿一から被上告人に変更し、同組合から自己の一存で金融を得ていたほか、当初同組合からの信用を得るためその要望に応じて寿一所有の山林の一部を被上告人名義に移転したりし、本件各不動産の所有権の贈与を受けたと信じていた、(4) 寿一は、昭和四〇年三月一日死亡し、その子である被上告人及び上告人らが寿一を相続した、以上の事実を認定したうえ、右事実関係のもとでは、被上告人は、「お綱の譲り渡し」により、寿一から家計の収支面の権限にとどまらず、本件各不動産を含む財産の処分権限まで付与されていたと認められるものの、所有権の贈与を受けたものとまでは断じ難いが、前記のように本件各不動産の所有権を取得したと信じたしても無理からぬところがあるというべきであるとし、被上告人は本件各不動産を所有の意思をもつて占有を始めたものであり、その占有の始め善意無過失であつたから、占有開始時より一〇年を経過した昭和四三年一月一日本件各不動産を時効により取得したものと判断して、右時効取得を登記原因とする被上告人の上告人らに対する本件各不動産の所有権移転登記手続の請求を認容している。

ところで、民法一八六条一項の規定は、占有者は所有の意思で占有するものと推定しており、占有者の占有が自主占有にあたらないことを理由に取得時効の成立を争う者は右占有が所有の意思のない占有にあたることについての立証責任を負うのであるが(最高裁昭和五四年(オ)第一九号同年七月三一日第三小法廷判決・裁判集民事一二七号三一七頁参照)、右の所有の意思は、占有者の内心の意思によつてではなく、占有取得の原因である権原又は占有に関する事情により外形的客観的に定められるべきものであるから(最高裁昭和四五年(オ)第三一五号同年六月一八日第一小法廷判決・裁判集民事九九号三七五頁、最高裁昭和四五年(オ)第二六五号同四七年九月八日第二小法廷判決・民集二六巻七号一三四八頁参照)、占有者がその性質上所有の意思のないものとされる権原に基づき占有を取得した事実が証明されるか、又は占有者が占有中、真の所有者であれば通常はとらない態度を示し、若しくは所有者であれば当然とるべき行動に出なかつたなど、外形的客観的にみて占有者が他人の所有権を排斥して占有する意思を有していなかつたものと解される事情が証明されるときは、占有者の内心の意思のいかんを問わず、その所有の意思を否定し、時効による所有権取得の主張を排斥しなければならないものである。しかるところ、原判決は、被上告人は寿一からいわゆる「お綱の譲り渡し」により本件各不動産についての管理処分の権限を与えられるとともに右不動産の占有を取得したものであるが、寿一が本件各不動産を被上告人に贈与したものとは断定し難いというのであつて、もし右判示が積極的に贈与を否定した趣旨であるとすれば、右にいう管理処分の権限は所有権に基づく権限ではなく、被上告人は、寿一所有の本件各不動産につき、実質的には寿一を家長とする一家の家計のためであるにせよ、法律的には同人のためにこれを管理処分する権限を付与されたにすぎないと解さざるをえないから、これによつて被上告人が寿一から取得した本件各不動産の占有は、その原因である権原の性質からは、所有の意思のないものといわざるをえない。また原判決の右判示が単に贈与があつたとまで断定することはできないとの消極的判断を示したにとどまり、積極的にこれを否定した趣旨ではないとすれば、占有取得の原因である権原の性質によつて被上告人の所有の意思の有無を判定することはできないが、この場合においても、寿一と被上告人とが同居中の親子の関係にあることに加えて、占有移転の理由が前記のようなものであることに照らすと、その場合における被上告人による本件各不動産の占有に関し、それが所有の意思に基づくものではないと認めるべき外形的客観的な事情が存在しないかどうかについて特に慎重な検討を必要とするというべきところ、被上告人がいわゆる「お綱の譲り渡し」を受けたのち家計の収支を一任され、農業協同組合から自己の一存で金員を借り入れ、その担保とする必要上寿一所有の山林の一部を自己の名義に変更したことがあるとの原判決挙示の事実は、いずれも必ずしも所有権の移転を伴わない管理処分権の付与の事実と矛盾するものではないから、被上告人の右占有の性質を判断する上において決定的事情となるものではなく、かえつて、右「お綱の譲り渡し」後においても、本件各不動産の所有権移転登記手続はおろか、農地法上の所有権移転許可申請手続さえも経由されていないことは、被上告人の自認するところであり、また、記録によれば、寿一は右の「お綱の譲り渡し」後も本件各不動産の権利証及び自己の印鑑をみずから所持していて被上告人に交付せず、被上告人もまた家庭内の不和を恐れて寿一に対し右の権利証等の所在を尋ねることもなかつたことがうかがわれ、更に審理を尽くせば右の事情が認定される可能性があつたものといわなければならないのである。そして、これらの占有に関する事情が認定されれば、たとえ前記のような被上告人の管理処分行為があつたとしても、被上告人は、本件各不動産の所有者であれば当然とるべき態度、行動に出なかつたものであり、外形的客観的にみて本件各不動産に対する寿一の所有権を排斥してまで占有する意思を有していなかつたものとして、その所有の意思を否定されることとなつて、被上告人の時効による所有権取得の主張が排斥される可能性が十分に存するのである。しかるに原審は、前記のような事実を認定したのみで、それ以上格別の理由を示すことなく、また、さきに指摘した点等について審理を尽くさないまま、被上告人による本件各不動産の占有を所有の意思によるそれであるとし、被上告人につき時効によるその所有権の取得を肯定しているのであつて、原判決は、所有の意思に関する法令の解釈適用を誤り、ひいて審理不尽ないし理由不備の違法をおかしたものというべく、右の違法が判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は右の趣旨をいう点において理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件については、更に審理を尽くさせるのが相当であるから、これを原審に差し戻すこととする。

よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(中村治朗 団藤重光 藤﨑萬里  谷口正孝 和田誠一)

上告代理人金井清吉の上告理由

第一点 原判決は従前の判例に反して時効取得の要件を認定し法律の解釈を誤つた違法がある。

一、「過失」の有無について

(一) 原判決認定によると、被上告人はその父である亡寿一から昭和三三年元旦に「お綱の譲り渡し」を受け、以降農業経営ならびに家計の収支一切を取りしきり、対外的にも借入金も自己の一存で行い農協の要求に応じて担保のため自己に亡寿一の山林の所有権の一部を移転するなど、財産的な処分権限まで付与されていたものであつて、本件各不動産の処分権能までも全面的に譲渡を受けたと信じたとしても無理からぬことであつて、自己が本件各不動産を取得したものと信ずるについて過失がないものと認められるとしている。

(二) 相続財産に対する時効取得に際しては、その要件は厳格に認定すべきである。

即ち、相続財産は、相続人特に直系卑属(子)などからみると将来相続財産となるであろうという期待の対象とされ特に農山村ではその農業などの働き手は子供も含めた全員であつて、それらが働いて農作物の収穫を得て生活し、かつ余裕があれば財産を残したり、先祖からのものを次代に引きついでいくのであつて、少なからずその財産形成及び次代にそれを引きついでいくことに対しては寄与が考えられるのである。

しかし、他方右のような財産においても法はその処分を自由に認め譲渡・贈与なども所有者の意思に委ねられている。

我が民法は右両者の調整原理として、「家庭のためその一定部分を必らず家族内(近親者)にとどめる義務がある」との考え(思想)をとり入れて、一定の「遺留分」の制度が認められていることは多言を要しないところである。

右遺留分の制度は、相続人間においては過去の贈与についても一定の要件のもとに遺留分制度を適用することが認められ、美事な調和を保たれてきた。

ところが、贈与等の場合には遺留分制度は認められ運用できるけれども、こと取得時効の成立の場合には右調整原理の遺留分は働く余地がなくなつてしまう。これを贈与の場合と対比するとき、相続人にとつては大へん大きな差となつて不合理が生じるのである。このようなことを考慮に入れた場合、かかる相続人間の場合には取得時効の要件を厳格に解する必要がある。その一つである「過失」の有無については、すでに学説・判例も単に占有者の心理的な角度からのみでなく、自主占有認定の場合の諸基準と対応するような、例えば時効取得の結果権利を失うに至る権利者に、それに代る何らかの手段があるか  権利を失うに至る権利者は何らかの対価を得ているか等々利益衡量すべきであると説かれているのであり、現在までの判例もそれに従つて認定してきたと言つてよい。

前述のように、本件のような直系卑属間の相続財産についての場合、それをより厳格に解釈適用することが必要になることは当然であろう。

(三) ところで原判決は、すでに前述のとおり、安易に被上告人が亡寿一から「お綱の譲り渡し」をうけたから、これをもつて占有について過失がないとするのである。

しかし次のような事実を総合すると被上告人に過失があつたことは自明ではないであろうか。

(1) 「お綱」は戦前の旧民法の下にあつて、その家の家長の地位の譲り渡しの名ごりであるが、戦後は急速に失なわれてきた慣習の一つである。戦後は、名前だけは残つているが、その家の「財布」を引渡すというだけしか意味をもつていない。現実にもその家の「財布」を渡すのであつて、「財布」を渡すということは、その収入のもとになつている田・畑・山林の耕作権(収益権)などの利用権の譲渡である。

いわゆる戦前の「隠居」ではないのである。亡井沢寿一についても同様である。被上告人も「(亡寿一は)引退したわけではありませんので、隠居屋に住むわけではありません。仕事を私に渡した関係で自分の気のむいた時に仕事をし、気がむかないときはしないという状態でした」(原審調書)と証言しているところからもわかるのである。

特に新民法下では「お綱の譲り渡し」があつても、それで当然に田・畑・山林などの使用収益処分の権限=所有権まで譲渡されるものではない。これはこの地方の農家で、いわゆるお綱の譲り渡しがあつたとしても、右田・畑・山林などはそのままの所有関係で残り、被相続人が死亡したときに始めて、新民法にのつとり相続が行なわれ、後継者一人のみに農地を集めようとすれば、相続人の遺産分割方法や、放棄によつて即ち相続人の意思によつて決められている実態(別添署名簿参照)をみれば一目瞭然である。本件についても、例外は全くない。

いずれにしても本件では、戦後一三年も経た昭和三三年のことであつて、旧民法の制度それも、確定的でない「財布」の譲渡をもつて全財産を譲り受けその所有権まで所得したと仮に信じたとしても過失があることは自明ではないであろうか。

(2) このように、いわゆる耕作地などの利用収益権という「財布」の引き継ぎであるから、従つてこれを譲り受けたものは一切の家計をとりしきり、兄弟姉妹の面倒を見るのも当然となるのである。

因みに原審は、「所有権を移転する面と家計の収支に関する権限を譲渡する面とがあり」としている。そしてこれに添うような証言もあるが、それは証言者が土地収益の利用権だけか財産全部のいわゆる所有権までか、明確に意識して証言しているとは思われないし、戦前の「隠居」の制度と混同しているとも思われないではない。

また被上告人は、亡寿一から財布を委されていたのであるから、亡寿一に貸金債権を有する者が、その財布を持つ被上告人に請求することは当然のことにもなる。

なお、右に述べたことは、上告人・被上告人らの生れ育つた本件地域では全く争う余地のない事実であつて、その旨六〇二名に及ぶ者の署名によつて明らかであろう。

また、上告人もお綱のゆづり渡しと所有権が異ることを右地域の人と同様に認識していたからこそ四八年一一月二一日遺産分割の調停の申立をなしたものである。被上告人も、この意識の差が生ずる筈はなく、仮に生じたとしても、それには過失があると言うべきである。

(3) 原審認定のように「お綱」に田・畑・山林の贈与が含まれるのであるなら、被上告人はなぜ登記をしなかつたか理解しがたい。

これは上告人らが法廷で供述しているとおり、亡寿一が病気なのに薬も充分に与えられなかつたときに、田畑を売つてでもという話が亡寿一の口からでたこととか、「俺が死んだらよかごつせー」(皆で分けろの意)ということを言つていた(上田ミツエ)ことなどを考え合せると、被上告人自ら贈与を受けていないことを充分承知していたから登記の手続もしなかつたのであると考えざるを得ない。

加えてこのことは亡寿一は死亡するまで実印や権利証など自分で保管していたところからもわかるのである。

ところで原審は、農協から借金するに際し、被上告人は山林の一部を自分の名義にしたという証言を採用して、過失のないことの間接事実としてみている如くである。

しかし、山林を売却したのは亡寿一が意図的に自らの意思で売つたのであり、また名義を亡寿一から被上告人に変えた山林は今までの調査では全く見当らない。登記所は勿論、村役場の土地台帳で調べても、亡寿一から、被上告人に当時名前をかえた山林などは全くないのである。

右のように、もし本当に被上告人が亡寿一から一切の財産を譲り受けたというなら、登記をするに充分な金も暇もあつた被上告人が全く登記をもしないで七年間も放置しておくなどということは考えられない。

このことは、相続があるとすぐ登記手続を被上告人が始めたことでなお更明らかになるところである。

因みに相続開始があつても何も相続税がかからないのであるから何も登記を急ぐ理由は全くないのに、すぐ登記をしようとして上告人らを訪ねたのであるから、被上告人は充分自分のものでないことを意識していたことを表わしている。

(4) 同様のことは、「お綱」を渡した昭和三三年から父寿一死亡まで農業委員会に届出もしていないことは、これも納得いかない。農業委員会に手続をするのに何の費用も、暇もかからないからである。

(5) 加えて、他の兄弟たちは、本訴がされるまで、お綱のゆづりがあつたこととは別に財産の贈与をうけたなどきいたことがないし、上告人らが申立てた遺産分割の調停でも二〜三回上告人・被上告人が同席して話し合つたのに、すべての財産の贈与をうけたなどの話は全くなかつた(上告人らの供述)のであり逆に、被上告人から調停の場で遺産の分割に同意し、上告人西田澄子に畑約三反、上田ミツエに金八〇万円、同じく被上告人の弟英十に金四〇万円出してもよい旨の申出があつたのである。しかし、その提供すると言つた畑はひどい荒地や悪い土地ばかりを意図的に選出してあつたため調停には至らなかつたものである。

以上のような経過をみると、善意についても大いに疑問があり、ましてや「無過失」というにはほど遠い実体である。

二、被上告人は「承認」をし時効は中断したのに、原審は従前の判例等とことなり「承認」についてこれを否定したのは解釈を誤つたものというべきである。

(一) 原審判決は、被上告人が上告人のところに昭和四〇年七月頃相続分の放棄方を依頼していることについて、その事実については認めながら、共有持分権の存在を承認していたと認めるには十分でないとする。

(二) しかし、承認の表示の方法は明示たると黙示たるとを問わないことは当然である。そして承認になるか否かの解釈は法律行為に準ずるが、従前の判例でも例えば「貸金の支払を求めたるに同人は之が猶予を請いたる場合」(大判昭二・一・三一評論一六民四一五)下級審ではあるが債務者が債権者に対し代金減額の交渉した場合(東京高判大一三・一〇・四新聞二三三五号一九頁)について「承認」あるものとしている。

右被上告人の行為についても、前述の判例等と対比するとき、何らその程度に異るところはないのであつて当然に「承認」と解釈肯定すべきであるのにこれをしなかつたものである。

特に前一で述べたとおり、被上告人が「承認」していた事実は、同人のその後の調停における言動、特に畑や現金を上告人らに分割交付するとの態度と併せ考慮すれば、疑問の余地なく充分肯定されるべきである。

右、一、二の事実からすれば、原審判決は破棄差戻しすべきである。

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